歴史
開館式で市長と握手 昭和50(1975)年5月17日<開館>
 野山を切り開き、人々が菅生に移り住んできたのは昭和40年代。子どもを育てるために、豊かな自然環境を求めてこの地を求めたが、子どもたちに「豊かな文化」も必要と感じた住民は、10年来の建設要望を行ってきた。
 ようやく運動が実ったこの日、多くの住民と子ども達が当時の伊藤三郎市長を取り囲み、誰とはなしに握手を求め、拍手がわいた。
 また、地域住民からはバザー収益金35万円の児童図書が寄贈された。
伊藤忠記念財団助成金授与式 昭和52(1977)年1月
<伊藤忠記念財団受賞>
 開設以来、読書クラブ、人形劇などにより児童図書の普及に努めてきたことが評価され、伊藤忠記念財団より185万円の助成金を受賞する。
 開館当時のバザー、1年ごとに図書や遊具を充実させることを目的に行ってきた「わかば祭」。こうした住民の活動は、地域に児童図書を普及させる地道で継続性がある活動であるとの評価を得た。これにより図書室の充実が図られ、人形劇も活性化された。
第1回わんぱく竪穴式住居作り 昭和52(1977)年7月
<わんぱく生活学校>
 子ども達の生活力向上を目指し、「衣食住」をテーマとした「わんぱく生活学校」を、職員と住民が協働して企画・実施。職員も住民もそれぞれの特技を生かして子ども達の指導にあたり、以来、現在まで毎年実施されている。
 第1回目の主なプログラムは、衣=わらぞうり作り、食=手打ちうどん作り、住=竪穴住居作りを行い、特に竪穴住居は市学芸員を招聘し指導にあたり、本格的なものを作った。この学校から地域リーダーが育っている。
参加記念バッチ 昭和54(1979)年5月<国際児童年>
 この年の「わかば祭」は、国際児童年を記念して、地域の全子ども会と連携し、地域をあげて2日間に渡りパレードを行った。地域の子ども会ごとに手作りみこしなど出し物をもって、パトカーの先導のもと、ゴダイゴのテーマソングを流しながら・・・・。そして参加者の胸には、記念バッチが・・・・。各自治会長さん宅は休憩所にと協力して下さり、ジュースやおやつがふるまわれた。
昭和55(1980)年1月<少年教室開催>
 市教育委員会、高津市民館と民生局所管の菅生こども文化センターが協働して「少年教室」を開催。講師謝礼や諸経費を市民館が負担し、子ども達への広報・場の提供はこども文化センターが受持ち「縄文式土器の野焼き」を行った。
 当時としては、担当部署を越えての連携事業は画期的なことで、縦割り行政の克服ともいえる実践として注目を浴びた。
昭和57(1982)5月<電子オルガン寄贈>
 この年のわかば祭の収益で「電子オルガン」が寄贈された。これは3人の小学校5年生の女の子からの意見で実施されたものだ。「センターでピアノと電子オルガンのセッションをしたい」「そのために電子オルガンがほしい」「お金はわかば祭で自分たちががんばる」と仲間をつのり、それに大人たちが協力し実現した。
いたか誕生 昭和58(1983)年3月<おやじの会発足>
 高津市民館と共催で「父親家庭教育学級」を開催。家庭教育学級の対象者を母親から父親に拡大した取り組みと注目された。
 その学級を通じて作られた仲間が「おやじの会」を結成。当時、企業戦士として身を粉にして働いていた父親がたまに家にいると「オッ!おやじいたか」と子どもに言われたことと、土曜日の夜に例会を持つことから「サタデイナイトいたか」と命名された。
あかい屋根表紙 昭和60(1985)年5月<あかい屋根発行>
 菅生こども文化センター開設10周年記念誌として「あかい屋根」を発行。34名の住民委員と元職員を含む5名の職員委員との共同作業で、174ページにおよぶ小冊子を作り上げた。当時は、パソコンはもちろんワープロも普及しておらず、全頁を和文タイプで仕上げ、版下を作り上げてくれた住民もいたおかげで、何とか出来上がった。
平成16(2004)年4月<運営協議会設立>
 開館当時からあった「企画会議」。企画会議は利用者を中心に毎月一回事業調整を行うことと、地域住民で意見をお持ちの方は意見表明できる場として営々として継続されてきた。全市のすべてのこども文化センターに運営協議会を発足するという市の方針にのっとり、目的を一にすると判断し、名称を「企画会議」から「運営協議会」に変更した。
タイヤ広場作成メンバー 平成17(2005)年1月<タイヤ広場制作>
 運営協議会で山斜面の土留めが必要という話し合いから、単なる土留めでなく、子ども達が楽しめるものをということで「タイヤ広場」を運営協議会で制作することとなった。
 大田区のタイヤ公園に見学に行き、山の中腹にふさわしいものをとメンバーが設計し、大人も、中学生も、子どもも、大勢の人達の手で朝から夕方まで労働奉仕を行い、一日がかりで作り上げ、寄贈した。
平成17(2005)年12月<指定管理者に指名>
 「菅生こども文化センター運営協議会」。川崎市より指定管理者に指名される。
平成18(2006)年4月<運営開始>
 指定管理者として「菅生こども文化センター」及び「稗原小学校わくわくプラザ」の管理運営を開始する。
  平成22(2010)年8月 <あかい屋根partU発行>
 指定管理者として、平成18年4月から管理・運営をしてきた「活動報告書」としての「あかい屋根PartU」を編纂・発行。受託してからの活動を振り返り、新たな歩みを進める機会を自分たちで作り出す。
 平成22(2010)年10月<特定非営利活動法人あかい屋根設立>
 任意の運営団体「菅生こども文化センター運営協議会」を母体として、社会的責任をしっかりと負うため、運営協議会から「NPO法人」化を行った。
   平成23(2011)年4月
<第2期指定管理者として運営開始>
<菅生こども文化センター改築完成>
 指定管理者第2期。NPOあかい屋根として、菅生こども文化センターに加え、蔵敷こども文化センターも受託することとなった。このことにより、菅生中学校区内のこども文化センターを受託することとなる。こども文化センターの受託が増えたことにより「稗原小学校わくわくプラザ」に加え、「菅生小学校わくわくプラザ」「犬蔵小学校わくわくプラザ」も管理運営開始。改築が完成した菅生こども文化センターでは、お祝い会が挙行され、稗原小学校児童による「稗原太鼓」が披露された。
  平成24(2012)年4月<冒険遊び場設置>
 宮前区役所の支援を受け、NPOあかい屋根の職員、地域のボランティアによって、冒険遊び場のメインになる、「冒険タワー」が完成。近隣の大工さんの指導によるところが大きいが、素人の力で作り上げた。
 子どもたちの声で「アスレチックのようなものがほしい!」との声の実現を地域ぐるみで行うことができた。