back”what’s mu〜!?”

にっきちょう

不定期更新です。ごめんなさぁ〜い。

♪2005年11月14日(月)
 日記を書かなくなったのは、インターネットに書き込むこと自体が苦痛になったからだ。あるときから、日記を書いたり、いろんな掲示板に書き込んだりすることができなくなった。まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど・・・。

 たまにインターネットで調べ物をしていると、自分の日記帳がひっかかってくることがある。開いてみたりすると、随分初々しいと言うか、楽しそうに書いていたんだなぁと思う。それに、書いたときのことを結構正確に思い出すことができる。僕が日記を書かなくなって、いろんなことがあったけど、やはり日記を書いていたときほど物事を思い出すことはできない。引き出しにいっぱい詰まっているんだろうけど、取っ手がないから引き出せないというか。

 数日前、仕事中に「父が入院した」と連絡があった。自宅で倒れていたそうだが、結構悲惨な状況だったらしい。母は父の病気が苦で出て行ったが、ごくたまに自宅に顔を出し、そのときに見つけたそうだ。いままでも何度か入院はしているが、電話で聞いた限り、今回は相当「危ない」感じだった。「いま行ってもわからないだろうから、少し落ち着いてからお見舞いに・・・」と母は言っていた。しかし、その時はそれでもまだ、そこまで深刻な感じは受けなかった。(そう思いたかっただけかもしれないが。)脳の手術をしてから、たまに幻覚と現実の区別が付かないことを言ったりしていたが、絶望的な状態ではなかった。今回もそこまではないんじゃないか。

 土曜日に、病院に行ってきた。液晶ディスプレイ付きのDVDプレーヤと、映画のDVDを数枚。自分の中では結構奮発したお見舞いだ。病室じゃ、たいそうヒマだろうし。
 ナースステーション。病室を聞くと「こちらの大部屋ですね。」と、ナースステーションに隣接した広い部屋に通された。なんというか、老衰で体がどうしようにも動かない方しか入っていないようなところで、その部屋に病院によくあるパーティションで区切ってあるベッドに、父は寝かされていた。ベッドの横に行くと、少し間があってから、ああ、という感じで息子が来たんだなとわかったような感じだった。随分老けたように見えた。まだ60にもなっていないはずだが。そのとき、他のベッドと隔離するように置かれているパーティションは、周りを見て父が「こんなところにいるのか」とショックを受けないようにとの配慮なんだろうな、と思った。
 実際に面会してみて、深刻さがわかった。話している内容はほとんどわからなかった。声が小さいのと、何を話しているのか意味がよくわからないのと両方だった。ただ、よくそんなこと憶えてるんだな、と思うような話をする時もあったが、それは以前もそうだったので気休めにはならなかった。手や足は力なく動かすことはできそうだが、体を起こしたりはまず無理。「DVDは落ち着いた病室に移ってから観たらいいよ」とは言ったものの、父が一人でDVDプレーヤ操作して見られる日は果たしてくるんだろうか。余計な物を買ってきてしまったかな、チョイスを、間違ったかな。
 僕はもともと喋らないほうで、自分から話題を振ったりすることが非常に苦手だが、この日はいつにもまして自分から話しかける、という行為ができなかった。間が空くと、父がなにか話し出すのでそれに相槌をうったり。この前大事にしていたロレックスのリューズを壊してしまったので直してお前が使えばいいとか、若い看護婦さんに”世話”をされるのはがっかりするとか、筋が通ったまともな話なら僕なりに話題を広げることができるが、”不思議”な話には「そうなんだ」とか微妙な返事しかすることができなかった。
 40分ぐらいしたころ、年配の看護婦さんに「すいませんけど・・・、おしめをかえますんで」と申し訳なさそうに言われた。これ以上ないほど絶望的な気持ちになった。でも、父は僕以上にそう思ってるかもしれないな。
 「じゃあ、また来るから」といって”大部屋”を出て、いろんなことを考えながら少し遠くに停めたクルマまで歩いた。いろんなことを考えたが、ひとつもポジティブな考えは浮かばなかった。いろんなことを考えた中で、今日のことにはちゃんと「取っ手」をつけたほうがいいのかな、と思った。

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