岡田神社
御由緒

古代洞海、菊竹ノ浜(貞元)に熊族が祖神を奉納した地主神で岡田ノ宮と称す。神武天皇、日向国より東征の
途次本宮に詣り天地神祇(八神)を新察し、ここに一年留り給ふ由「古事記」にあり、この処を熊手と号す。
神功 皇后、三韓征討の折に熊手出岬(皇后崎)に到り、当宮に詣り八所身神を親察す。
これを岡田ノ三宮と称し「天」・「地」・「人」三才に表し神輿を菊竹ノ水門にて蓬菜、方丈、瀛州(権内裏)
三嶋に捧げ神事を奉行し、在庁官人等これを輔けて行粧厳重なりと伝えられる。
古代より当地は北九州における海陸路の要(洞海舟溜、皇后崎津、大宰府官道)に位置し、皇室、公家武門、
武将等の崇敬あつく祭礼法度を定め社領十八所、末寺九坊と栄えたり。慶長十年黒崎築城のさいに
筑前六宿の起点となり、現在地御奉遷いたし、福岡藩祈年社黒崎宿の産土神と定格され、
皇后崎津の舟子を舟町(黒崎港)に移し、京阪舟便が定められ以来長崎街道参勤の九州大小名等の崇敬高く
造営、社参奉幣等厚く、また上り下りの文人墨客等の来社数多く、現在は黒崎地域五十余町の産土神と敬仰さる。