岡山の賃貸ならステイプロデュースにおまかせ

2008/02/02

ことしは『自立』から『家族』を私のキーワードにしようと思い新年を出発した。そして1月も終わり2月になって夫と映画に行った。鯨の親子やしろくま君や高い山を越境する鳥たちを見ながらその雄大さに酔いしれた。そんなとき離れて暮らす息子から電話が入る。死にそうな声で40度の熱が2~3日下がらないのだという。まさか今映画を見ているともいいづらい情況の中で、映画の後、陣中見舞いに食糧を買い込んで2時間車を走らせ息子のアパートを訪ねる。 家に帰って風邪を治せといっても、彼はがんばるという。大学を今年卒業したら友達3人と賃貸マンションを借りて住むのだとすでに新しい住居の契約を済ませていた。4年間住んだこのアパートも引越しして新しい生活を始めようとしていた。  なんとなく寂しい。 病院の待合で家族連れ4人を見た。1歳のよちよち歩きの子と若いお母さんとそのご両親のようだ。そのことを私は夫に言った。『孫もかわいいとは思うけれど、私はやっぱり自分の手で育てるほうが喜びも刺激も強いと思うわ』 『直接的に干渉するのは本人の自主性や独自性をそぐことになりそれは愛ではなく支配だ』 『、、、。そうね。大きくなったら間接的に関わっていくことの方が、、、愛か』妙に納得しながらも寂しい。 我が家の子供たちもヨチヨチ歩きながら必死に大人の社会に入っていこうとしていた。それを阻んではいけないよな~。親としても初心者マークの私たち夫婦は、今始まったばかりである。(*^_^*)

2008/01/27

お見合いで結婚した私たち夫婦は恋愛を経験せずに家庭を持った。夫は自分なりの『理想の女性と理想の家庭』夢描いていたのに、私はそのどれにも当てはまらないタイプだったらしい。かすりもしないと彼は言う。私は、、、、。人を愛するという行為 よくわからなかった。その私が子供を与えられ、その中の一人は知的障害で軽い自閉もあるので相手の心がつかみにくい息子を育てながら、『愛するということ』を訓練されながらの子育てだった。  夫からの『愛』を感じることの少ない結婚生活は、葛藤の日々だった。それが、この1~2年の中で彼は変わっていった。去年の暮れに、私のために、ショッピングに付き合ってくれた。女性の買い物は長い。私もショッピングは大好きなのだが夫といるとゆっくり楽しんで買い物ができないので、一人で買い物をすることがほとんどなのだが本音では付き合ってほしいと願っていたのだ。そういう私に、彼はゆっくり付き合いバッグやらコートやら一緒に選んでくれた。 そして今年に入ってふるさとの『津軽物産展』が岡山であったので、一緒に行ってみた。このときもゆっくり付き合ってくれて私の大好きな『筋子』『赤カブの漬物』『数の子の山海づけ』を買った。以前やっぱり青森の物産展が、岡山であって一緒に行ったとき私は自分の好きなものや自分の故郷のことを言えずにいた。そして買えずにいた。私はこの結婚生活でいつも思っていた。 私は彼の家族を愛し、彼の国を愛し彼の親を愛そうと勤めてきたけど、彼は私と私の愛する人や私の家族に関心を持ってきてくれたのかと!  悲しみと葛藤の中で、私は孤独だと思った。 そんな日々の暮らしの中で、彼は変わっていき、私は愛されていると感じるようになった。そして最近思う。『私は彼に愛されているのに、私自身は彼を愛しているのだろうか?』 『愛』とは能動的でありその愛に反応する行為が『美』なのではないかと?私が夫から愛されその愛に反応し応える行為それが『美』  『愛と美』について私は少しだけわかってきたようだ。夫婦とか男女の愛については初心者なのです。(*^_^*)

2007/10/30

娘の受験 『幸せ』とは何なのか? 先日娘の受験に主人と付き合うことになった。京都は、娘には地理に自信がないということで、お父さんの車で送ってやることになったのだ。 車の中で『ブチブチ』面接のための独り言をつぶやきながら、娘は緊張していたようだ。『笑顔』の苦手な娘は、学校では面接の訓練は『言葉遣い』『笑顔』などなど、本人なりに、がんばってきたらしい。高3の娘のクラスでは、今『受験』真っ只中で次々『合格』が決まっているようだ。 そのたびにクラスのみんなが『祝福』してあげるらしくそんなクラスの雰囲気が、娘には『なかなか良いクラスよ』世の中では『人の幸せ』がねたみになるものだが、学生時代に、そんな人間関係を経験させてもらえるのは、ありがたい。 そんなわけで娘は今日は『私の番』なのだ。少し早くつくと、『お父さん、30分前に会場に行きたいからそれまで、グルグルしてよ』。私たちも『京都』は知らない土地なので、グルグルといわれても、お父さんも困りながらそれでも、この子のタイプはそうなんだろうと思い、気持ちよく『受験』させてやりたいと思い、本当にただただ、車で30分前までグルグルしながら、送ってあげた。娘は『30分以上、会場に居たら、私のぼろがでるから、、、。」 そして彼女は終わって出てきた。そのときの彼女の表情は親指を上に上げながらご機嫌な表情だった。審査員の方がとても、感じのよい方だったらしく笑顔の苦手な娘に、『あなたのその笑顔に期待していますよ』と褒めてくださったという。 その後で親子3人で『京都御苑』を散策しながら、私たち夫婦は娘の幸せな表情を見ながら、人生の中でこんな 『極上の時間』を子供と共有できることの喜びを知る。 娘の大学の選択に関しては『学校側』も『母親』の立場からも、もう少し名前の知られている、大学を願っていたのだが、娘はこの学校で良いと決めたのだ。私は迷いつつ迷いつつ様子を見てきた。 でも、この極上の時間は私にそのことを忘れさせてくれた。幸せとはきっとこのことなのだろうと、思っている。

2007/05/12

娘 このいとおしい存在私は18歳になったこの存在に、助けられている。この娘はよく財布を落とす。これで4回目 ところが大騒ぎしているのは私で、娘は懲りない。懲りない理由はそのたびに、警察の拾得物に届けられるからかも、、、。運がいいというか悪運が強いというか、先日もお父さんと西署に、受け取りに、行った。今回は中身が抜かれて105円だけだったとか、、、 それでもカード・保健書などが戻ってきたのは、ありがたい。この娘はもし、自分が拾ったら、警察に届けるか? と、問うと「ありがたかったので、きっと届けるだろうな~。」という。 そんな娘に、今回まさたかくんが、「うっとうしい」という理由で、作業所の仲間に意地悪をしたことを話してみた。 お母さんでも、わが子であっても時には、まさたかの「うなり声」が迷惑でうるさくて「黙れ!」と怒鳴りたくなるときが あるから、まさたかが「うっとうしかった」という気持ちに対してはなんとも言えないでいるんだと話す。娘は「お母さんが普通の親なら、まさたかくんに、きちっとしずかにしなさいと言えたよ。」 「そうね。でもまさたかが普通の子なら、お母さんも言っていたと思うけど、あの子は、お母さんが怒るたびに家を出て行って、何度も何度もその繰り返しの中で、いつの間にかお母さんの中に、まさたかに対する恐れと又出て行くのではないかという怯えが、出来上がってしまって何もいえない自分を固めてしまっていた。 これからはその恐れを取り外していかないとと思っているのよ。人が成長していくのは時間がかかるからあなたの財布を落とすのも10回はあるだろうと覚悟しているわよ。 そんな娘が今朝私に「お母さん、あまり無理しないほうがいいよ」と優しい言葉を残し、やっぱり、私の車の座席に財布を落とし?て学校へ行った。(*^_^*)

2007/05/02

今朝、何気に、自殺した6歳上の兄貴のことを思い出す。彼は今の私と同じ54歳で死んだ。私とは性格もずいぶん違い優しかったようだ。私は十代の頃から、家のことには無関心に生きてきた。たぶん理由は、進路について、親の賛同が得られず,一人で生きていくんだ 自分の夢は自分がかなえるんだと、一人で力んでいたからだろう。 20代、30代、40代と私は家には殆ど、帰らなかった。父も母もこの不肖の娘のことはいないものだと 諦めて、人生を生きていったことだろう。その間父と母の下で家業を手伝ってきたのは、この次男だったと聞く。  私はこの兄貴のことで母から聞いたことがある。「兄は体も弱く力もないのに、友達のけんかの仲裁をして吹っ飛ばされながらも必死で、とめに入っていったんだ」と。吹っ飛ばされながらもとめに入る兄貴を想像して若い頃の私は「情けないな~。」と思っていた。でも、最近というか、折に触れて思い出すのは、自分に欠如しているのはその優しさではないかと、よく思う。 そんな兄貴が自殺したのは父がなくなり、3回忌も終わりやっと母も元気になりだした頃の5月3日、6年前の明日世の中がゴールデン・ウィークで、楽しんでいるときに、兄貴は、青森で一人旅だって行った。岡山から飛行機で青森に帰って見たのは、お墓の前の山で咲くきれいな山桜、あれから6年が経つ。 骨になった息子の前での母の姿は、あまりにも哀れだった。

2007/04/14

最近、心が、落ち着かない。少し 疲れているのかな? 今年は「お花見」にも感動しない私がいる。花より団子かなと、思い家族を誘って、「お鮨」にも行ってみたけれど、、、、、。家事にも心が発動せず、お掃除は手抜き、、、。 子供たちは、さして私の心を悩ませない。「幸せすぎるのかな?」と夫に行ってみる。 まさたかに、聞いてみる「まさたかくんの夢は?」しばらく考えて「バイクに乗りたい」今の私に夢はある?  夢  生きることに必死で生きてきて50代になり、まだまだ心配事や悩みは尽きないのだけれどそれとて、今までの生きてきた経験の中から、対処しようとして段取りを組んでいる中からは、疲れることばかりで心が生き生きすることが、足りなくなってきているのではないか? かといってすべてから開放され、あるいは「ご破算」に願いまして、新しい人生をやり直すこともなく、今日の1日を出発するのだから、、、、。 人はそのようにこの中年期、初老といわれる時期を、迎えるのか?  私の好きな「読書」をしてみようか? 「家読」がブームだという。確かに、娘の学校で勧められて「7つの週間」を読んでいると「お母さん、私も今この本のジュニア版を呼んでいるけど,お母さんはどうだった?」などと会話が楽しい  それにしてもやっぱり、子供なのだ。 私の楽しみは家族しかないのか?! 幸せすぎるのです。!(^^)!

2007/03/28

桜がそろそろ、、、、。毎年桜の季節が、おとずれてその年毎にいろんな「お花見」を楽しんできた。これって夫の協力がなければ実現できなかったわ~。彼はこのためだけに存在しているといっても過言ではない! 本当に、イベント好きで人生を楽しみ、生活を楽しむ。夫婦ってなんだろうと思うとき、我が家においては、完全に、「楽しむため!」 まじめな私には「信じられな~い」の世界なのだが、過ぎてみると、私も私の家族も彼のまわりの人々も、その恩恵に、浴している。そうなのだ。生きるということは、働かなければ生きていけないし、資本主義の日本では、お金持ちになってこその幸せよと思うのだが、彼は、ひたすら、自分の心が、楽しいと、思うことしか、体が発動しないタイプなのだと本人が言う。 本当かな?と疑わしいのだが、実際彼は、さまざまな難しい場面場面でもその主義を貫きとうして生きてきたのである。 お見事といいたいのだが、それはそれで結構生きることにおいては支障が出る。それでも、最近、思うのよね~。 「私、幸せだったよ、子供たちも素直に育ってくれたし、失うものより、得たものの方が、格段に多い」と。 同居の彼のお母さんが愚痴る。一生懸命に働いて子供たちにも私はたくさんの物を与えて生きてきたのに,今は誰も,私のことを、見向きもしないし、私には何の楽しみがない。毎日ベットに横たわり楽しみがないと嘆く。お金儲けの刺激より勝る楽しみを知らずに年老いたというのか?私ももしかしたら子育ての強い刺激の中に、埋没して自分の喜びを持たずに年老いて行くのかもしれないのだ。子供はいつか私の手を離れ、彼らの幸せを求めて旅立つのだろうに。この年に、夫と新たな喜びを求めて私も旅立とうか、、、、。(*^。^*)

2007/03/21

信じるということ  私は子供の頃から自信たっぷりな人間に見られて生きてきたし、実際自信過剰の部分が強く、あまり悩まずに、生きてきた。だからくよくよ悩み、夜もおちおち眠れないわという人の、気持ちが良くわからないのだけれど、自分を信じるということが、他人をも信じることができるように、なるのではと、思うのである。しかし50年生きて思うのは、信じるということの難しさである。 最近、体験した中に、現実の困難に自分で対処できる限りのことをやり尽して、方法が見つからないと、思ったとき、もう、天に、任せるしかないよという状況で、私は夫に聞いてみた。「どうしたらいいと思う?」「自分は、信じている! きっと道は、開かれるよ」私には、今までのことを、振り返ってそのようには、思えなかったのだが、私の信じる夫が、そういうなら、信じてみようか それで、もし、いいようにことが運ばなかったとしても、それは、そうなったとき二人で、乗り越えていけばいいしと、思って、信じて待つことにした。事態は好転した。 信じるということは容易なことではないけれど、信じたいとは誰もが願っていることではある。自分を信じ、子供を信じ夫を信じ、相手を信じて行きたいのである。 今の日本では神を信じるということが、生活の中から、失われているような気がする。私の子供の頃は、おばあちゃんや、学校の先生から「悪いことをしたら、お天道様が見ているよ」とか地獄では蜘蛛の糸があって、、、などと宗教的なお話が日常的に、聞かされていた。 戦後の私たちの世代が、生きてきた時代は貧しかった時代、学生運動を経てバブルで拝金主義に陥り、自分の子供に「信じる」ということをどれだけ、あたえてあげたのだろうと自分を振り返る。私たちの先人が営々と築いてきた良きものまで、私たちは、失い、さあ、これから失ったものを、取り戻そうとがんばろうとするとき、何から手をつけましょう 今の私のキーワードは「自立」である。夫と深く深く理解しあいたいと願うとき、夫に、依存した立場での私から自分自身を取り戻し、より主体的に、生きてみて夫と出会いたいと願っている。夫婦はいろんな形態があると、思う。 そして家族もまた色々な家族が、あるのだから、必ずしも「理想的な夫婦、理想的な家族」を、演出しなくてもいいと思う。 多様性をどこまで許容できるか 私の考えと相手の考えとそして二人で作り上げる第3の考えに、到達できたら、どれほど幸せか発展できるか、私はその第3の考えに到達したいと願う。人は一人で生きているわけではないのだから、誰しもが、助け合いたいと願い、共に生きたいと願い、信じあいたいと願っているのに、、、、、。  たくさんの涙と血が流されてきた。(^0_0^)

2007/01/30

(*^。^*)  私は、今、同居の、お姑さんのお世話を、再び、ヘルパーに、任せようとしている。なぜ?『理解』ということの困難さに、一時休止!(^^)!  去年の夏、実家の兄が急死した後で、私とあねは、じっかのおよめさんの「気持ち』が本当にわかっていなかったな~と、今になって、実感している。 自分の親とか子供とか、『血縁』に属することは、人は本能的に大切にする、それは私に言わせると『自己愛』のようなものであると思う。だが『夫婦』の場合は、離婚したら、他人  だから夫婦関係の中でこそ、『自他愛』の最小的な人間関係の訓練を、人は受けているのではないか? この関係の中で、自分と違う価値観のものを受け入れていく訓練が、ある程度できていくと、人は、他の人間関係でも気持ちの良い関係を創り、人と人がなかよく暮らしていけるのではないかと、思う今日この頃,、、、(^0_0^)  しかし、これが至難の技だよね~  まだまだ先は長い  あせるまい

2007/01/28

最近、夫婦が、面白い(^^♪ 長いこと隙間風が吹いていたわが夫婦も、2度目の春風が気持ちいいのだ。 わが夫は、韓国人で、6番目の末っ子である。韓国人としての儒教の教えの中で育ち、韓国人でありながら日本で生まれ育ち、日本人の教育を受けてきた。私とはお見合いで結婚したので、好きなタイプでないどころか、全く接点を持ち得ないほどの私のタイプだったらしい。私も変人の部類だと思っているので、彼は、私を理解できなくてずいぶん苦労してきたのである。 私だって言わせてもらえば、『愛されていないの、、、』と友人にずーっと、愚痴をこぼしながら生きてきた。毎日毎日私は、日記の中でため息をつづって生きてきた。かといって不幸だったわけではなく、私たちは、途中から彼のお母さんと、同居した関係で、ストレス解消の理由をつけて子供たちを、学校へ送り出した後で朝食は喫茶店の、『モーニング』で毎日1時間は、たっぷりおしゃべりを楽しんだ。周りの人はあきれながら、そのお金を、貯金したらブランドのバックが買えるよ、というほどの、時間とお金をたっぷりかけて生きてきた。だって、考えてみてよ、あなただったら、どっちを選ぶ? 夫と毎日1時間喫茶でおしやべりとコーヒーを、楽しむのと1年に1回だけ30万のバックを買ってもらうのと、、。  私は、毎日彼を誘った。お正月の3が日も、喫茶は休んでいるのでホテルの喫茶に、いったし、法事の日もお客さんを家に残してこっそり彼とコーヒーを飲みにいったし、喫茶から帰る途中で散歩中のお姑さんに出会い車のシートの中に隠れて見つからないようにしたり、。 彼が私を理解できなかったように私も『韓国人』としての『儒教』の目上絶対主義の彼の家のおきては理解できなかったのだ。毎日議論、理屈好きの私の『突っ込み』に彼は辟易しながらも付き合ってくれた。そうやって生きて23年、子供たちは成長し、私たちの議論に仲間入りできる年齢に、なって、いよいよ面白くなってきた(^^♪

2006/12/26

(*^。^*) 今年も、そろそろ暮れて、、、、、。私は親ばかで我が家の子供たちは、いい子に育っていると自負している。 2~3日もしたら、娘がオーストラリアから1年ぶりに、帰る。まだ16歳の娘は流行の留学をして無事にご帰還なのだ。 この1年娘も、外国で苦労してきただろうけど、私たち夫婦に、とっても、結婚以来最大の試練を迎えた1年だった。 その1年が終わろうとして夫は、これといって自慢できるものはないけど、子供たちには自分としてはたっぷりの愛情を注いできたよ」というものだから私は「はっきり言って、あなたがお父さんしたのはこの5年ぐらいのものよ、それまではただの叔父さんだったわ」私も、ずいぶんはっきりした情けない「妻」である。 私がそういうと、彼は「そう思われているんだったらそうだろうと、思う」あわてて「私もあの子たちにはお母さんというよりおばさんだったとは思うけど」 夫婦は似たもの同士である。そして家族は似たもの家族である。それなのにお互いにけなしあい傷つけあい「骨肉」とは良くぞ言ったもの (^0_0^)   私にはお父さんの気持ちはよくわからないけれど夫は言う「娘と、どう向き合えばいいかわからなかった。1年の留学の間に、あの子も成長しただろうけれど、自分も少し変われたような気がする。 今度はちゃんと向き合って話が、できるように、思う」彼はこの1年私ともう一度やり直そうと思ったときからたぶん自分の子供とも向き合えるように、思えたのだろう。 1年が暮れていく、、、、。男・夫・お父さん、、、、高い理想に向かいストイックに生きようとする彼 私 ・・・お母さん、、、、大地にへばりつき子供やお金や現実のなかで生きようとする私 私は今自分のなかから「妻」の部分をそぎとろうとしている。そして今しばらくは子供のために、生きるのだけれどそれもまたそぎとって「私」を生きようと、思い始めている。一人の男と女に、なって主人と再会したいと思い始めている。 私たちはお見合い結婚だったので、あまり相手のことに興味が、あったわけではなかった。子育てが、終わったら、、、、、 と、思い始めている(^0_0^)

2006/10/22

私たちは、国際結婚である。国際といっても、彼は日本で生まれ、日本語しか知らず外面は私と、さして変わらない。それでも、夫婦として付き合ってみると、私も、日本人としては、変人の部類だし、彼も、少し変人タイプなので、そんな2人が、一緒に暮らし子供を、授かり、巣作りをしてくる中で、いつのころにか、別々の価値観に悩まされ、最近では、あきらめムードが漂う今日この頃!(^^)!  先日、私の兄が63歳で、急死 心筋梗塞でした。5分前まで夫婦で話をしていたのに突然、この世からいなくなる!お義姉さんは、今でも、ショックから立ち直れず、安定剤を、離せないとか、、、、。 仲のいい夫婦も、仲の悪かった夫婦も、いつか、こんなときが来るのだけれど 最近、しばらく、あきらめムードの漂っていた私たち夫婦に、少し、変化が現れてきた。 『もう、いちど、やりなおそうか?」 「そうね。もう、いつどやりなおそうか!」 秋風の漂う夫婦の年齢だけれど、私の心は、とても歓喜している。(^_-)-☆

2006/06/01

私が、長年夫と暮らしてなかなか理解できなかったことを「今だから言える」というように 「今だから聞ける」というように聞いてみようと、思うことがいくつかある!(^^)! 彼は結婚当初から私と2人だけに、なることや自分の子供だけをつれて出かけることを避けているように見えた。いつも私たち夫婦の間には誰かいたし、私たち家族の間には誰かいた。そのことが、絶えず、私を、寂しくさせた。間に入る人は、当然 地元の彼の友人だったり彼の身内だったり、、、。 そのことに私は寂しさを感じながら生きてきたけど、結果的には私自身にとっては、「自分を見つめること」につながり 子供たちにとっては、いとこたちといろんな思い出が作られ、昔の大家族のよさも、味わい自分のわがままも随分セーブはされてきたと、思う。 「なぜ?」と、聞いてみた。私との間に、「居場所」が、見つからなかったと、彼は答えた。 自分の居場所 子供にとっては居場所は「親」***できることなら仲のいい両親であってほしい(*^。^*) 結婚したら居場所は「相手の心」***? ? ? そうか、、、居場所がなかったのか、、、、、。

2006/05/18

昨日 夫と「明日の記憶」を観にいった。アクションの好きな映画通の彼は「娯楽性にかける」だとか「日常的だなー」とか言っておりました。 お隣に声をかけてみると「娘時代から映画が好きで、誰かと来るより一人で好きな映画が楽しめるからよく来るのよ、、。結構一人で来る人多いわよ」と昼2時の時間帯でしたが、一人で楽しまれるご婦人が、多いそうです。 私は、ひとりでは映画に、行った事がありません。喫茶店には一人でも行くけど 映画館は足が遠い。 夫婦で出かけるところは、、、、(^.^) たとえばドライブ 車の運転が好きな彼は結婚当初から車が家のように私や子供たちや自分のご両親や友人を連れて、大きな車でよくドライブした。私の実家は青森だけれど、青森までも、車で行く。 最初は「シェビーバン」私が、2番目の子を出産して退院するときに彼は自分の喜びを、そのシェビーを買うことにより表現した。そして私を病院まで、嬉々として迎えに来たとき車に無知な私は「何で救急車で来たの?」救急車にしかみえなかったんだよねぇ~。(^0_0^) 2番目の子が生まれて18年  そう18年前のシェビーは当時日本では珍しく観光地で車を停めていると、周りの人がのぞく。同乗していた彼のお父さんは、私たちが車を離れて戻ってみると、車の中を観光客に「見物」させていた。いまではなつかしいおもいで、、、、(^0_0^) そのようにして育った私たちの3人の子供たちはやっぱりドライブ好き。 今年20歳になった若葉マークの長男は「お父さんと長距離ドライブがしたい」ということで久しぶりに、ディズニー経由で青森へ里帰り、帰りは富山経由で岡山と、お父さんと交代しながら運転してくれた。 お父さんはうれしかっただろうな~(*^_^*)。 ちなみに私は運転べたで、近所周りしかできないので 今まで彼は交替のいない長距離のドライバーだったのだ。 ピンチヒッターがいるのといないのとはこんなにも違うものだと、 夫婦で話し合いましたよ(^.^)お兄ちゃん ありがとう (*^。^*)

2006/05/05

今日はこどもの日 子供たちはすでに大きくなりこんな日には誰と、どこへ行ったらいいんだろう。子供たちからもキャンセルされ友人もお忙しいらしい。 結局「おだいり様」へラブコール、、、。 そんなわけで2人でテータイム 私は53歳彼は52歳、この夫婦結婚して23年たち長男は20歳になりました。 あまり私たちが「けんか」をしなかったのは彼が忍耐した結果なのです。 それで私が満足しているのかというと、満足していないから、このホーム・ページを立ち上げたわけで、私には、なかなか「男の心」と言うものが、難しい。 それでも今まで生きてきて、自分なりに「正しいこと」と思えたことや『真実だろう』と、思えることをやってみた結果が『今の自分』であるわけで決して満足しているわけではないのだから、、、、。 これからは少しのんびりと、、、、、と、思っている(^^♪