北京『カズクン』観劇日記  泊篤志
2001 atsushi tomari in Beijing

私の代表作でもある『生態系カズクン』が中国の北京市で6月8日から上演された。主催者は苦しい予算の中でも私を招待してくれようと努力してくれ、初日にあわせて北京へ行くことになった。これは、その時の記録である。
6月8日(金)

朝の5時20分の高速バスで福岡空港まで行かなけらばならず、4時50分に目覚ましを鳴らす。しかし、前の晩(というかほんのちょっと前)2時くらいに寝るコトになってしまい、案の定起きれず。劇団制作の谷瀬に「念のため5時に自宅の電話鳴らして」と頼んでいたので、起きれた・・・んだと思う。慌てて準備してバス停まで走り、バスの中でサンドウィッチ食ったり、寝たり。
その後、福岡空港でぐったりし、成田空港へ。何故「成田」なのかというと、今回の北京での公演は日本航空(JAL)から協賛を受けていて、私の渡航券もJALでないといけなかったのだ。全日空とかなら福岡から直行便が出ているのだが、JALは成田や関空からしか北京行きが出てないのだ。よって行きは成田、帰りは関空になる。エライ時間がかかるが、タダだ。我慢だ。

午後1時半くらいに北京到着。チェックを受けるのに長蛇の列。外に出るのに30分もかかる。外には中央戯劇学院の研究員で、今回の公演の翻訳・演出を担当してくれている木田日登美(ぼくだ ひとみ)さんとその友人で北京で語学留学しているという山川さんという方が迎えにきてくれていた。
タクシーで一旦、ホテル「龍頭公寓(ロントウゴンユ)」へ向かう。龍頭には井生玲子さんという知り合いが居て、今後彼女に随分とお世話になる。北九州には創立55年になる劇団「青春座」という老舗劇団があるが、彼女はその代表の井生定巳さんの姪御さんにあたり、数年前、青春座が大連公演をした時に同行した私は、当時大連に留学中だった玲子さんに少し会っている(その後彼女は北九州に戻り、私の家の近くで働いていたらしいが、不思議と中国でしか会ったコトないのが面白い)。

龍頭でちょっとだけ休憩し、山川さんの手引きで「故宮(紫禁城)」「天安門広場」などを軽く観光。ゆっくり観光するつもりだったが、中心街は凄まじい渋滞で到着が大幅に遅れたのだ。とにかく熱く乾燥した空気の中、だだっ広い歴史建造物をさ迷い歩く。いずれも、馬鹿みたいに広く、でかい。大いなる無駄である。だが、この大いなる無駄文化が中国の味噌なのだ、と感じる。
夕方5時過ぎになって、疲れてきた事も有り、早めの食事に中国レストラン「満腹楼」に入る。ここは、羊のシャブシャブが人気らしく、食べ慣れない食材ながら、迷わず注文。ここは、固形燃料を燃やし目の前で肉やら野菜やら豆腐などを湯に通し、ゴマダレを付けて食べるという日本にもありそうなスタイルの店だ。しかし、この固形燃料に文字通り泣かされた。どんな成分が配合されているのか分からないが、燃料が気化し、風向きが私に向かう度に激しい刺激に襲われ、大粒の涙を流した。心なしか喉も痛い。まあだけど、肉は美味かった。ゴマダレも濃いかったけど美味かった。山川さんはさっきまで居た龍頭でパンを食べていたらしく、あまり食べなかったので、代りに私が頑張って食べた。燃料の刺激を避けながらとにかく食った。朝からサンドウィッチと機内食しか食べてなかったのでとにかく食った。

食事後、『カズクン』が上演される劇場「中央実験話劇院小劇場」まで歩いていく。燃料にやられた所為か、途中で咳き込み、怪しい「痰」を吐く。数分後、劇場に到着。随分と古い小劇場だ。入口には『カズクン』のポスターも貼ってある。ちょっとオカルトチックなデザイン。芝居の内容からするとこれはちょっと怖いんでないかい?と思う。中に入って、木田さんから今回の制作メンバーを紹介される。皆、若い。全員大学生なのに、日本人の大学生よりしっかりしているように感じるのは何故だろう。そして会場に入る。不思議と違和感は無い。日本にもありそうなアングラな会場。舞台があって、ひな壇に組まれた客席が約160席。『カズクン』は日本の九州の田舎の旧家を舞台にしているのだが、この舞台はそれを意識し、舞台奥には障子戸になっていて(実際には開けることは出来ない)、床には畳をイメージしたゴザが敷いてある。面白いのは、その上に現代的なソファが置いてあったり、舞台の上(=右)と下(=左)に大きな灯篭が吊ってある事だ。低予算ながら、精一杯の努力を感じる。

私は真正面で3列目の貴賓席に案内される。こんな立派な席で万が一芝居がつまらなく、寝てしまったりしてはマズイ!と思い、もっと端っこに行きたがったが、それも失礼な感じがして、頑張ってその席に座る事にした。と、次第に私が日本からワザワザやって来たカズクン作家である事が周囲に知れはじめ、関係者なんだか、観客なんだかにちょこちょこ話し掛けられはじめる。もちろん私は中国語は出来ないので、隣に居てくれている山川さんが通訳してくれる。しかし、山川さんがちょっとでも居なくなるともうタジタジだ。相手は今度は英語で話し掛けて来るが、英語もほんのちょっとの単語の羅列でしか会話出来ないので、こんな時、真剣に英語が出来てれば!と思う。思うが、日本に帰ると忘れてしまう。

そして、やがて開演時間の19時15分になる。客席はほぼ満席ながら観客はまだまだやってくる。開演はちょっと押して、19時20分くらいから、制作から簡単な挨拶があった(もちろん内容は分らず)。明かりが落ちていく暗闇の中で、私は確かに高揚していた。後から思うとニヤニヤしていたような気がする。自分の戯曲が異国語に翻訳されて異国の人達で演じられ、異国の人達がそれを見つめているのだ。何とも言えない嬉しさと恥ずかしさが同居する。そんな複雑な暗闇の中、静かに「島原の子守り歌」のメロディが流れはじめた。この曲は劇中で何度か歌われる唄なのだが、意外な始まりかたに少し驚く。曲にあわせて照明がフェードインする。浮かび上がる、床に寝ているカズクン。過去に飛ぶ劇場以外で上演された「カズクン」には必ずと言っていいほど、猫似のカズクンには「耳」や「尻尾」や「髭」があったが、この中国版カズクンには、ギリギリそれらは無かった。ただ、若干キャッツを意識したような衣装やメイクが施されていた。それによって、やや耳や髭を意識させていた。この点、彼らの「猫似」が「猫に見えない」からそうしているのか、「人間との違い」を際立たせたかったからそうしていたのかはちょっと分らない。私の演出では、なるべく人間と違わないように扱いたかったので、あえて普通の格好で登場させていたのだ。

カズクンとジョニィ
カズクンとジョニィ某劇団の安徳氏に似てるのだ)

さて、芝居は始まった。「島原の子守り歌」はエレクトーンの生演奏だし、何故か猫似ジョニーの登場ではパーカッションの生演奏になり、ジョニーはキビキビ踊りだす。そして、猫似ヒロポンも含めてパントマイム的な芝居となる。正直に書くと、ちょとここはいただけない。ちょっぴり恥ずかしい。始まってそうそうに「んー」と思ったが、シーンはあっさり素早く終った。そして芝居本編が始まる。芝居そのものは、飛ぶ劇場版とそんなに大差ない。スゲヲ(お父さん役)を大学生が演じているが、なかなか恰幅が良く、我々の初演に出てもらった江口さん(青春座)を思い出した。アサヨ役は、なかなかの美人で、ミナヲはやや長髪の今時の若者。このミナヲを演じた彼は、『UFT』という飛ぶ劇場の公演に出た事のある、亀山という男にウリ二つで、以降、私の中で彼は「亀山」と呼ばれる事になる。そして問題はウキサだ。このウキサは魚子病という、まあはっきり言うと知恵遅れ的な設定なのだが、ここでのウキサは何故か足を引き摺り、いかにも知恵遅れな喋り方をする。私は上演の度に配役の変っていくウキサの演出が一番気を使っていた部分で、いかにも知恵遅れな演技にしてしまうと「いやーな感じ」になってしまうし、かと言って何もしないと、普通の人になってしまう。だから私は、「ウキサは猫似なんだ、カズクンと同類なんだ」くらいの演出を目指していた。そういう意味ではちょっと無防備なウキサにドギマギした。またこの芝居で、「難しいな」と感じたのは、日本ならではのネタについてだ。スゲヲがくだらないダジャレを何度か言うのだが、例えば「菓子かなんか無かね、あとお茶、…加藤茶」というセリフは中国の人に中国語でやるには、かなりの困難が伴うだろう。事実、舞台上ではドリフの説明交じりに演じられていた様だが、客席はポカンとしていた。初演で登場した「くれよんシンちゃん」ネタは、中国のTVでも放送された「ドラエもん」に置き換えられて成功していて、ホッとした。また、劇中でドライアイスを使った日本では必ず笑いの取れる個所があるのだけれど、どうも中国ではドライアイスは一般的ではないらしく、観客はクスリともきてなく、サラリと流れていた。

そうやって一喜一憂しながら舞台を見守っていると、舞台も客席も次第に「笑い」によってヒートアップしてきた。彼らの演技(演劇)スタイルは、あくまでも「客を向いて喋る」のが基本であって、しかも中国語は妙にテンポがいいので、とにかく笑いのポイントがビシバシ決まり、これじゃあちょっと「コント芝居じゃない?」と思えて来る。とにかく、やや自信なげだった前半に比べ、観客の「笑い」という反応に支持されて彼らも余裕さえ感じさせる演技を見せはじめるのだ。細かい事を言えばいくらでもある。お婆ちゃんの棺桶の上で飲み食いしてないし、第一棺桶を皆で囲んでないじゃないか、とか、どうしてジョニーを演じた役者が幸島和也も演じているんだ、とか、その所為でラストでジョニーが出てこないじゃないかとか、言い出せばイロイロとある。けれども、ラスト、お婆ちゃんの棺が皆の手によって外へ運び出される時、観客はすべてを理解し、納得し、その大団円に、送り出されるお婆ちゃんに惜しみない拍手を贈ったのだ。日本では照明が落ちて暗転するまでなかなか拍手は鳴らないが、こういう自然発生的な拍手は本当に気持ち良い。心からの拍手であるなぁ、と感じて嬉しい。

私は作者として、飛ぶ劇場版を演出した者として、その違いに一喜一憂して観ていたが、観客の皆さんは素直に芝居の進行に一喜一憂して観ていてくれていたのだ。舞台上で行われているカーテンコールでは初日の緊張感から開放され満場の拍手を受けている役者達が安堵の表情を、誇らしい表情を見せている。次々に紹介される役者やスタッフ。最後に私も紹介され、沢山の拍手を頂戴した。私も彼ら同様に安堵と誇らしさを見せていたに違いない。

終演後、玲子さんと彼女が連れて来た龍頭のスタッフに会った。玲子さんはまだ中国語が完璧ではないのか「50%くらいしか分らなかった」「けど、充分面白かった」。この公演は無料公演だが、資金難からカンパを募っていて彼女は「50元(約750円)入れたけど、全然元取れてるよ」と言ってくれた。スタッフの方も片言の日本語で「楽しかった。感激した」と言ってくれた。そうやっていると、出演者が近寄って来た。特に例の亀山くんが積極的に話し掛けて来て、握手を求める。気付くと山川さんの姿が見えず、仕方なく単語を並べた英語でたどたどしく交流。どうもこの亀山くんには手応えの有る役だったようで、なんとなく「良い役をありがとう」の様な事を言っていた…気がする。

出演者が着替え終わるのを待って、その場で交流会というか意見交換会が行われたのだが、その役者待ちの間に私は様々な人からのサイン責めにあう。普段サインなんてめったにしない私は、急遽カッチョイイ感じでサインを始める。どうも中国人は誰でも彼でもサインを欲しがる人種の様で、私ごときのサインに人だかりができる。恥ずかしいやら嬉しいやら。そんなことをやってたら交流会が始まらないので、仕切り人が中断。強引に始まる。お客さんも残っていたし、日本の国際交流基金の方も残っていた。内容は、中国社会科学院文学研究所の劉平先生が感想を述べたり、日本でやったカズクンとの違いを質問されたり、作品を書いた経緯を聞かれたり、上記で書いたような事を聞かれたり言ったり、といったもの。皆、興味深々な感じで聞いて来る。もう忘れちゃったけど随分イロイロ喋った気がする。とにかくその場に居た人は皆"いい感じ"だった。それまで私は外国での活動について、あまりちゃんと考えていなかったが、そういうのもまんざら悪くないなぁ、と感じた。演劇が海を(言語を)越えるのは大変だ。けれど、お互がお互いの事を知るのはいいことだし、そういうとこから国際交流が始まるのが健全なんではないか、と思った。ちょうど小泉総理の靖国神社公式参拝問題で中国企業が協賛を降り、ステージ数が減ったという事情の中だっただけに、そう感じた。

公演終了後
ステージに腰掛けて、質問を受ける
(左から、木田さん、泊、劉平先生)


外に出て、喉がカラカラだった事に気付く。木田さんと山川さんと劇場すぐの所に有る飲み屋さんに入って、ビールを飲む。日本では見慣れない中華料理を食べる。公演に協力してくれていた人も居て、話しは弾んだ。ビールが美味い。食い物が美味い。

そして私は龍頭に戻り、眠りについた。眠りながらこれからの事をイロイロと考えた。個人的な事、劇団の事、北九州の事。
世の中は思い通りにならない事ばかりで溢れている。悲しい事件も起こる。
けれど、本当に素晴らしい出来事も沢山転がっている。
そんな事をこれからも丁寧に拾っていく作業が出来ればいい。
そういう演劇を作っていこう。

そんな事を考えながら、慌ただしい北京の長い一日が終った。

 6月9日(土)のレポートにつづく・・・と、この時点で「つづく」と書いたんだけど、書けませんでした。