幡随院長兵衛の末裔として

古川 茂


 今をさかのぼること350年ほど昔、大江戸の町に幡随院長兵衛という庶民の英雄がいました。歌舞伎などを鑑賞される方には『お若ぇの、お待ちなせぇやし』の名台詞でご存知の方も多いことでしょう。
 長兵衛が生きた江戸時代初期、戦乱の世から幕府による中央集権体制へと移行する大きな時代のうねりの中で、その存在目的を失った旗本の不平分子達が江戸の市中を徘徊し、町人達に乱暴狼藉をはたらくようになっていました。彼らはそれぞれ「旗本奴」「町奴」というふたつの勢力(かぶき者と言われた)に分かれて対立を深めていきました。
 幡随院長兵衛はそういった状況の中『町奴』の頭となり旗本奴の水野十郎左衛門と張り合うなか、慶安三年(1650:異説あり)四月水野方のだまし討ちに合い36年の波乱の人生を閉じました。しかしわが身をなげうって町人達を守った長兵衛は『男の中の男』、『大江戸の華』として今も語り継がれています。
 
 そして母方の家系をさかのぼるとその長兵衛が、わが故郷佐賀県東松浦郡相知町の出身であること、さらに私自身が長兵衛の子孫の一人であることを知るに至りました。人と人とのつながりや命までもが粗末にされるこの時代、命をかけて信念をつらぬいた幡随院長兵衛の事を「郷土の誇り」として少しでも多くの人たちに知ってもらいたい、という思いでこのホームページを立ち上げました。
 
不況・凶悪犯罪・教育問題などが巷にあふれ返る今だからこそ、幡随院長兵衛を通して「忘れられた日本人の心」「人は本来どう生きるべきか」を考え直すきっかけになればと切望しています。

 

2001年3月 


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