長兵衛とその時代
その一 稀代の侠客誕生の時代背景
長兵衛の生きた時代(1622〜57年)は、徳川幕府三代将軍徳川家光の頃にあたります。
この時代、戦乱の世も落ち着きを取り戻し、家康が開いた江戸幕府の基礎がための時期でもありました。
家光は慶長19年(1614)11歳で元服、元和9年(1623)20歳で征夷大将軍となり、家康・秀忠の遺志を継いで幕藩体制を基礎とする武家封建社会を安定させていきました。後に徳川幕府260年間の基礎となる「参勤交代」や「鎖国」を実施したのも家光でした。
こうして戦国時代から徳川幕府の安定期に入ると職を失った浪人たちがかなりの数現れ中にはいわゆる山賊・野武士となる者もあったそうです。
そして一方では戦乱の収束によりその役割を終えた旗本武士や、社会の安定化にともなう閉塞感にさいなまれた町民などから身分や社会制度への反発をつのらせるアウトロー的な存在も出現しました。彼らは「傾き者」「奴」などと呼ばれ、派手な着物を身に着けるなどして当時としても異様ないでたちで江戸の町を徘徊しました。
またこのこの頃、先述の参勤交代の実施により宿場町や港では街道整備や資材運搬の労役が増加しましたが時として人足の数が足りないこともあり、もっぱら地元有力者が今で言う人材派遣業の役割を果たすようになり、農民でも商人でもない労役専門の人々との間で上下関係が形成され、後に「任侠」の概念に変化していったようです。
このように江戸時代の初期、労働力の需要と供給というシステムで繋がってはいるものの、それゆえ相反するふたつの勢力(後述する「旗本奴」と「町奴」)が生み出される条件が整ったのです。