『微視的散歩』

〜洪水の夜〜


洪水の夜



二人の刑事は、濁酒のような白い雨に濡れながら、
街を彷徨い歩くのだった。
よっぴいて降る雨は、刑事の足を殺し、
犯人の匂いを消し去ってしまう。
街灯に照らされた路上には、
轢き殺された猫の死骸が白く洗い流されていた。

雨樋から流れ落ちる水は容赦なく溝を溢れさし、
犯人の隠れ家は泥水に沈む。
薄汚れた固いベッドにうち震える犯人は、
湿気った煙草にようやく火を点けた。
真っ暗だった部屋に痩せこけた男の顔が、
ぼんやり浮かび上がる。

水、水、水、水。
黒い濁流は、憤怒の渦と化して叫喚する。
この世の何もかもを、過去から未来までをも、
根こそぎ押し流そうとする。

幼い子供は、暖かい母親の布団の中で、
じっと耳を澄まして聞いている。
遠い祖先の血の記憶が、小さな耳に蘇る。
真っ暗い洞穴の中で、寒さと恐怖に震えながら、
我が身を抱きしめている遠い記憶が蘇る。

洪水の夜。
黒い濁流は、憤怒の渦と化して、叫喚する。
この世の何もかもを、過去から未来までをも、
根こそぎ押し流そうとする。



どこかで
よく晴れた冬の日
何気ない日常はすでに始まっている
製紙工場から流れ出る煤煙の白い帯
街を忙しく往来する大型トラックの土煙
建設中のネットの張られたビルディング
屋上の大型クレーンと
何やら叫ぶヘルメット姿の男たち
ジャングルジムのような鉄骨から
溶接の火花が流れ落ちる

 ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・
 ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・


雲を映したガラス張りの社屋
会議室で議論している上司と部下
灰色の校舎が並ぶ教室で
お喋りしている女子学生
太陽光線の満ちた運動場で
ボールを蹴っている少年たち
電気店に並べられたいくつものTV
画面には太りすぎた金魚が
パクパクと口を開けて泳いでいる

 ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・
 ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・

振興住宅地をきれいに区画する
整備された道路と並ぶ街路樹
路上に積まれたゴミ袋を
パッカー車に放り込む清掃業者
公園の砂場で遊ぶ幼児と
それを見つめる母親
彼女はふと何かに気付き
空を見上げる

 ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・
 ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・

遠くで
溶け始めている永久凍土
氷河の不気味な地鳴り
見えない大津波が
そこまで
やって来ている


綿毛と海
流氷の去った海辺に佇んで
ひとり見ている青い空白い浪
黒い断崖より舞う海鳥の声に
生きることの歓喜と辛苦を思う

 遠く小さく見える岬の白い灯台に
 この地へ初めて来た時の 自分がよみがえる

傍らに咲く蒲公英を摘んで
綿毛を海と空の境界にさざしてみる
ゴーという風と浪の音に小さく揺れ
一瞬、生命の種が天使のように飛び立っていく

 光に満ちた視界の中で
 私と世界の間を ただただ風が吹いていく



雨上がりの街
昨夜から降り続いた雨が、
午後になってから止んだ。
雨上がりの街!
重く垂れ込めていた黒い雲が、
物凄い勢いで流れ去っていく。
天空を駈ける竜のように
うねり波打ちながら、
この街の上空を流れ去っていく。
製紙工場の煙突から流れ出る
白色の煤煙を伴って、
山の向こうへ流れ去っていく。

雨上がりの静けさの中、
街にひんやりした
爽やかな空気が流れる。
樹木も、
電信柱も、
交差点の信号機も、
木造建築も、
ビルディングもみんな、
しっとりとしておとなしくたっている。

雀が雨宿りを止めて、
軒先から飛び出した。
あちこちの電線から、
瓦屋根から、
TVアンテナから、
信号機から、
樹木から、
雨の雫がポタンポタンと落ちる。
バスの通る音がする。
街の声がよみがえる。

街の上空がにわかに明るくなり、
やがて流れていく雨雲の隙間から
青空が現れる。
そして天国からの階段のように
陽の光が一筋二筋と射し込む。
あちこちの出来た水溜まりに、
街に繰り出した人たちの姿が映る。



歩道橋
歩道橋に昇る
向こう側へ渡る為でなく
ただ歩道橋に昇る為に
そしてそこから見える
この小さな街の見慣れた風景が
僕には一瞬違って見える

まるで見知らぬ土地に来て
立ち止まったような
あるいはデジャ・ヴのような
懐かしい気持ちになる
僕の時間感覚がこの世界と
少し遊離してしまったかのようだ

時代遅れになった
七階建てのデパート
のんびり浮かんでいる
モデルハウスのアドバルーン
陰になった
小さな杜と神社

歓声の消えた
小学校の校舎とグラウンド
廃止になった
貨物駅の跡と砂利の山

薄い煙を上げている
火葬場の細い煙突
白っぽいセメント工場
港に見えるクレーン

それらは
もうすぐ暮れる西日の中に
何事もなくある

そして僕は
ここからは見えないけれど
そこに暮らしている人々の
今日一日の出来事を
いろいろと思い浮かべてみる

やがて夜を呼ぶ
冷たい風が吹いてくる
僕は歩道橋を降りる
細い影を連れて
この街の中へ帰っていく



猫を葬る場所をさがして
僕は、道路の脇に横たわる見知らぬ猫を見つけ車を停めた。
猫はすでに死んでおり、硬直していた。
手の甲に水滴がポツンと落ちて流れる。
見上げると灰色の空から僕を急かせるように雨が落ちてくる。
読み終えたばかりのスポーツ新聞に猫を包んで助手席の床に置く。
何処に葬ったらいいのか・・・。

市内をぐるぐる巡ったあげく、港近くの埋め立て地に着いた。
雑草の生い茂った空き地の向こう側に、
この町の廃棄物処理場がゆらゆらと建っている。
錆びたような赤茶けたコンクリートの壁に雨が滲み、
灰色の煙突から出る白煙が空へ吸い込まれていく。
防波堤に沿って鉄塔と電線が、向こうの半島まで延々続いている。 

僕は車のシートを倒し、
サンルーフの窓に雨粒がアメーバのように蠢いているのを
しばらく飽きずに見る。
ボツボツボツと車を溶かすような雨音が室内に充満する。
尿意を催した僕は、車から降りる。
雨の中、湯気を上げた小便は、雑草の頭を撫でるように揺らしている。
ぶるぶるっと全身を震わせて車に戻る。
ふと助手席を見る。
新聞紙から顔を出した猫が、硬直した半開きの顎を見せて笑っていた。



昨夜から降り続いた雨がすっかり晴れて、
山の向こうへ灰色の雨雲が流れ去っていく。
街の真ん中を走る川は、
増水して泥色の渦を巻きながら海へ流れ出ていく。

僕は、すっかり明るくなった街を車で出勤する。
橋を渡った四つ角で、信号が赤になる。
舗道に並んだ樹木は、活き活きと緑を浮き上がらせている。
ワイシャツ姿の銀行員が、風で飛び散った葉っぱを掃いている。

カメラ屋の店主が勢いよくシャッターを開けている。
アーケードの商店街に搬入のトラックが入っていく。
笑い声と共に女子学生たちが自転車で登校していく。

信号が青に変わる。
僕は、ゆっくりとアクセルを踏み込む。


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