『微視的散歩』

〜文学散歩1〜


本の無意識
本を読むということは、著者の主張したいこと(本の主題というか)を読み取ることにある。
けれど結果的にその背後に浮かび上がる著者の人物像を想像することにあると思う。
それは小説であっても、評論、ノンフィクション、論文であっても同じ。
本を読むということは、その人に会うということだ。
本は人。だから完全なる人はいないように、完全なる本はない。
誠実な本、優しい本、厳しい本、頭のいい本、頭の悪い本、強がってる本、せこい本、卑しい本・・・。
それらは対面した人のしゃべり方や仕草と同じように、内容とは別の文章表現そのものに表れる。
文体には、筆者の戦略や意図、意志が込められているが、同時に無意識をも読み取ることが出来る。
見栄や自惚れや誤魔化しが見える時がある。
人はどうしても自分自身には甘くなるものだ。
それでも自己省察を怠らず出来る限り誠実に書かれた文章に触れたとき、私はその本が好きになるのだ。
それは本の無意識を読むと言ってもいいかも知れない。


花田清輝「楕円幻想」
今でもよく読み返したりする本に、花田清輝のエッセイ集『復興期の精神』がある。
高校3年の頃に、たぶん五木寛之のエッセイに名前を見たのがきっかけだった様に思う。
ここで言う復興期とはヨーロッパのルネッサンス期のことで、ダンテ、マキャヴェリ、コペルニクス、コロンブス、スウィフトらを題材にしている。
収録された主なエッセイが雑誌連載されたのは、昭和14〜18年の戦時下。中世と近代をつなぐルネッサンス期のことを語りながら、言下で日本人がこの20世紀をいかに生きるのかということを問うたものだった。

中でも惹かれたのが「楕円幻想」と題した文章だった。
明治以来輸入されたヨーロッパ近代とそれ以前の文化との狭間で分裂する日本人の精神を、二葉亭四迷『其面影』の主人公の口を借りて次のように提示する。

君は能く僕のことを中途半端だといって攻撃しましたな。成程僕には昔から何だか中心点が二つあって、終始其二点の間を彷徨しているような気がしたです。だから事に当たって何時も狐疑逡巡する、決着した所がない。

これに対し花田はこう提言する。

何故にかれは、二点のあいだに、いたずらに視線をさまよわせ、煮えきらないままでいるのであろうか。円を描こうと思うからだ。むろん、一点を黙殺し、他の一点を中心として颯爽と円を描くよりも、いくらか「良心的」ではあるであろうが、(略)つまるところ、何故に楕円を描かないのであろうか。

矛盾しているにも拘らず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈ではなかろうか。

またコペルニクスを題材にした「天体図」では次のように語る。

かれが詩人であり、数学者であったとする。かれは、詩と数学の対立と矛盾とを、かれの精神の世界のなかで、直ちに「止揚」することによって、調和させようとはせず、一ぽうが他ほうに負けないように、両者の対立を深めてゆき、この対立を対立のまま調和させるのだ。(略)そうすることによって、かれの精神の世界が収拾のつかないものにみえるかもしれないが、決してそんなことはなく、むしろ反対だ。何故というのに当たり前の言葉でいえば、これは、詩に厭きたら数学をやり、数学が嫌になったら詩を書く、ということにすぎないからだ。

花田の不真面目なようでいて真面目で、真面目なようで不真面目なスタイルは、世界(世間)に対する意志的な態度のように思われる。それは対象に対する情熱と批判精神、希望と幻滅、楽観的と絶望的と相反するものがいつもせめぎ合っている――まさに「醒めながら眠り、眠りながら醒め、泣きながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信ずる」(「楕円幻想」)ということだ。
そしてそれは<絶対>を求める真っ直ぐな人たちを苛立たせるものであっただろう。

私は、花田清輝のそんなところが好きだ。



福永武彦と南桂子
福永武彦は、今どれくらい読まれているだろうか。
書店の棚を見ると、新潮文庫の『草の花』があるくらいか。
むしろ長男の池澤夏樹の方が知られているかもしれない。
私がよく読んだのは、講談社文庫の『幼年』と『塔』。
特に、『幼年』の中の「就眠儀式」という章が好きだった。
布団に入って様々なことを夢想しながら眠りに就く。
意識が夢の中へと混濁していく微妙な感覚がくせになった。

『幼年』と『塔』の表紙を描いたのは、版画家の南桂子。
寂しげだけれど、故に個の強さを感じさせる少女像に惹きつけられた。
その後もたまに思い出して、展覧会の図録を取り寄せたりしていた。
2004年12月に南桂子は93歳で亡くなった。



『プレヴェール詩集』小笠原豊樹訳


『プレヴェール詩集』
ジャック・プレヴェール/小笠原豊樹・訳
(1991年 マガジンハウス刊)

プレヴェールは、シャンソンの「枯葉」の作詞者、映画『天井桟敷の人々』の脚本でも知られる。
この詩に代表されるように女性を謳ったもの、恋人同士の官能的でロマンチックな時間、あるいは悲恋を表現した。
また、庶民の日々の暮らし・労働について、戦争への激しい嫌悪・怒りを表現したものがある。
詩人でもある小笠原豊樹訳の『プレヴェール詩集』。
こちらから人気のある詩をひとつ紹介。


「サンギーヌ」

ファスナーが稲妻のようにきみの腰を滑り
きみの恋する肉体の幸福な嵐が
くらやみのなかで
爆発的に始まった
きみの服は蝋引きの床に落ちるとき
オレンジの皮が絨毯の上に落ちるほどの
音も立てなかったが
ぼくらの足に踏まれて
小さな阿古屋貝のボタンは種のように鳴った
サンギーヌ・オレンジ
きれいなくだもの
きみの乳房の先端は
ぼくのてのひらに
新しい運命線を引いた
サンギーヌ
きれいなくだもの

夜の太陽。



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この詩について解説するのは野暮だろう。
ファスナーがこんなにセクシャルな効果を出すものとは。
サンギーヌはオレンジの一種で、洋菓子によく使われるらしい。

訳者の小笠原豊樹は、ロシア語・英語・フランス語に堪能な名翻訳家。
ロシア文学ではマヤコフスキー、ソルジェニーツィン、英文学ではファウルズ、メアリー・マッカーシーなど。
推理・SFの翻訳も数多くある。アガサ・クリスティ、ロス・マクドナルド、E・S・ガードナー、レイ・ブラッドベリ…
私は、こちらのジャンルで名前を覚えた。

この人の翻訳なら間違いなく面白い作品だと。
レイ・ブラッドベリの『刺青の男』『火星年代記』(早川書房)は、高校生の頃、何度も読んだなあ。
また岩田宏のペンネームで、詩や小説、エッセイを発表している。


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