『微視的散歩』 |
〜眠れない夜〜 |
一人の夜 |
深夜のアーケード商店街を歩く。 シャッターの閉められた店の前に、 うずくまる皺だらけの初老の男。 何やら独り言を呟いて唾を吐いている。 先ほどまでざわめいていたパチンコ店は、 誰一人いないホールを煌々と照らしている。 昼間見る豪華な装飾の造りが グロテスクで安っぽいセットに見える。 肩を抱いた若い男女が 急ぐように路地へ消えていく。 一匹の野良犬が黒い瞳で、 じっとこちらを見ている。 近寄ると慌てて逃げていった。 放置された自転車のサドルに、 前足を丸めて猫が座っている。 声を出さずニャーと口だけ開けてみる。 猫は律儀にニャーと挨拶を返す。 無人の公衆電話ボックスの明かりは、 見捨てられたロボットのように 淋しく佇んでいる。 アーケードを抜けると、 この町を貫く小さな川がある。 橋の欄干に凭れながら、 川面に月が揺らめいているのを、 僕は暫く見ていた。 ひとりぼっちの夏の夜だった。 |
切ない夜 |
真夜中に苦しくて目が覚める。 たくさんの言葉が、 僕の胸に渦巻いて破裂しそうになる。 それは、怒号だったり、 ささやきだったり、 突き刺すような言葉だったりする。 そしてそれは、現実の出来事ではなく、 夢の中でイメージされた、 僕の好きな人の姿だったりする。 日常で、何一つ伝えられない言葉に 復讐されているのだ。 |
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夜を録る |
古いレコードの雑音(ノイズ)のように、 深夜の雨が屋根を叩く。 雨粒を一杯付けた窓ガラスが、 ときどき通る自動車のヘッドライトに照らされて金色に輝く。 そして再び真っ暗になった窓に、 僕の顔が映る。 その向こうにホテルのネオンが小さく見える。 僕は、側に置いたカセットレコーダーの録音スイッチを入れて、 ヘッドフォンを耳にあてがう。 ボリュームを上げると、 夜の音が聞こえる。 ボツボツボツと聞こえる雨音。 それをかき消す自動車のエンジン音と タイヤが路面の水をはね散らすシャーッという音。 男女の押し殺した話し声も聞こえてくる。 チンチンチンと遠くで踏切の警報機の鳴る音。 列車が鉄橋を通過する音。 汽笛。 僕は、目を閉じて、 それらの様子をひとつひとつ 頭の中に思い浮かべてみる。 |
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深夜にコーラを求めて |
八月中旬の生温かい雨が、深夜の街を濡らしている。 早寝してしまった家族は、とっくに安らかな深い眠りに落ちていた。 僕は、ひとり部屋の机に向かい日記を付けている。 机の上のコップには、冷えたコーラが小さい泡を休みなく製造していた。 どこかで雄猫たちのギャアギャア鳴く声が聞こえる。 コーラを一息に飲み干し、また新たに継ぎ足す。 だが、コーラは、コップの半分にも満たない。 コーラ缶の水滴に濡れた手のひらを、テッシュで拭う。 今度は一匹の雌猫が、精一杯甘えた声で、アオアオと鳴く。 カーテンを開け、ガラス窓を一杯に開放すると、 湿気った空気が一気に流れ込んでくる。 猫の姿は見当たらない。 公園灯の明かりは、誰ひとりいないベンチを照らし、 雨に濡れた地面が黄金色に輝いて揺れていた。 ブランコの下には、楕円形の水溜まりが黒々とした口を開けている。 突然、激しい衝動が下腹部から胸へ突き上げて、 僕の全身はブルブルと震えた。 またどこかで、猫の鳴き声がしたような気がする。 やっとコーラの自動販売機を見つける。 「釣銭切れ」の赤い表示ランプが付いている。 コインを入れてボタンを押す。 ゴトンと無愛想にコーラの缶を吐き出す。 |
怪物のように |
深夜のそぼ降る雨の中を、傘も差さず歩いていく。 街灯に照らされた金色に滲む路地を、 フランケンシュタインの怪物のように、歩いていく。 張り付いた髪の毛から滴り落ちる水は、じらじらと視界を揺らし、 胸元や背中から内股を伝う水は、素足へと流れ落ちていく。 誰一人いない公園の中に、 忽然と現れたタイムマシンのように、電話ボックスが佇んでいる。 誘われるように中へ入ると、 雨に濡れた身体は、蛍光灯の光に、青白く発光して見える。 受話器を握り耳に当てると、 つい今し方終わった会話の余韻のように、沈黙の音がする。 再び夢遊病者のように外に出て歩き出す。 タクシーが水を跳ね散らして、通り過ぎていく。 追いかけるように歩いていくと、大通りに出る。 誰もいない交差点の信号機は、 人類に取り残されたロボットのように、 規則正しく照らしている。 通りを渡ると、この街を貫く河は、もうすぐだった。 土手を登ると、大きな堰が見える。 照明に浮かび上がった黒い濁流は、 轟音を発しながら、堤防から流れ出ていく。 雨粒と轟音の、この空間の中に、 自分の細胞が存在するのを確かめるように、 渦巻く濁流をしばらく眺めていた。 |
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